白と黒の彩り

理工系大学院生の気まぐれとわがままと、そんな少しばかりの日常

心はここにある、それでも拭えない、コレジャナイ感

去年のこの頃、映画「君の名は」をみて

「何かを探しているけどそれがなんだかわからない」

ようなそんな抽象的な感じにすごく共感を覚えていたりしたし、

普段の生活でも、なんだかそれなりにがんばっているけど「心ここに在らず」みたいな

そんな感じがあった時期もあった。

まあ、ただのモラトリアムだったんだろうけど(ちなみにまだ脱しきれていない)。

 

この頃は、心もここにある、ちゃんと自分の人生を自分で主体的に生きているという自信と自覚を持てているような気がする。

そしてそれだからこそ、自分の今後の進路について余計迷いが生じてきた。

D進にしろ、就職にしろ、周りがそうしたほうがいいと言うからということで決めるのではなく、自分がしっかり納得したいとか思い出した途端に迷路。

ついでに言うと。

他の誰かじゃない、私自身が納得して満足できる選択を。

と、思いつつも、その私自身の判断基準の中に他人の視線を気にする要素が少なからずあるところが強くなりきれない弱さを認識してしまって悲しくなったりもするなどしたりしなかったり。

 

 

ともあれ将来的に、教員免許持っているし、教師という職も(給料と安定性という意味では)かなりアリな選択肢のように思う。

研究室で、ペーペーのM1だから卒論以上の何かをしようと思うと何もかもわからんことばかりで手一杯だったんだけど。

学会発表や論文書いたりしているうちに研究って思っていた以上に孤独との戦い感をすごく感じてしまって(もちろん分野やテーマにもよるだろうが)、自分で言うのもなんだけど、わりかし一人で結構なことをどうにかしてきた(できる)タイプだった割にそんな感想を抱いてしまってこの道でやっていけるのか今まで考えていなかった領域で不安が生じてしまった。

研究において孤独感があるだけで研究室としては先生方とも他のラボメンたちともまぁ仲良くやれていると思うけども、未知との遭遇や未知への挑戦を個の力で(もちろん今はまだ指導教官など一緒に考えてくださる頼れる味方がいらっしゃるけども)立ち向かい続けることの大変さを感じてしまっているのがなんだか我ながら悔しい。

大変さもある反面、もちろんやりがいもあるんだけど、今までその大変さをそんなに意識してなかったことになんだかここ半年で気づいた、遅いなぁと。

 

脱線したけど、こう、確かに自分はここにいて、なんだか放蕩しているという感じもないんだけど、なんだかこのままでいいのかな?感がずっとつきまとってしまっていて

まぁ漠然としているけどもわりかし逼迫した将来進路について迷ってしまったなぁと。

いつまでも「選択の幅を狭めない」という「なにも選ばない」状態ではいれないということを受け入れるしかないよ、私。

こんな選択できない欠点を抱えつつも、

「何かを選択・決断したのなら、その瞬間はベストでなくてもその後の努力や意識、行動次第でその選択を後からベストのものに変えることができる」という信念というかマインドがあるので早く何かしらちゃんと行動しなよ自分。

って言い聞かせるんだけど「一度きりの人生、どうせなら選択を間違えたくない」でしょ?

とまあそんな感じで、夏が終わる。