白と黒の彩り

理工系大学院生の気まぐれとわがままと、そんな少しばかりの日常

日記

 ふと先日、日記の話題が出てきたのでいろいろ懐かしさをおもいつつ、昔書いていた日記を掘り出して読んでみたりなどした。

 

 

 日記との出会いというか、それは小学6年生の頃まで遡る。

  国語の時間に、日記を題材にした文を読んだ。

 細かいところまでは覚えていないのだけれど、内容は簡潔に、

「親や学校に提出するための形だけの日記に意味はあるのだろうか。そんなことから少し自由になりたくてそのような形式的な日記の他に、不定期に自分だけのための日記を密かに書くようになった」

という少年だか少女だかのお話だった。

 それを読んで、当時感銘を受けたしろくろ君はその日に家に帰ってからA4の日記を一冊帰ってきて家族が寝静まった頃くらいに日記を書き始めた。

 「不定期に、自分の書きたいことを、誰の目にも触れさせない、なんでも書いてやる」

 という気持ちで書き始めた。

 当時思春期だったのであろう、今読み返すと見ているこっちが恥ずかしくなるような痛々しい日記であるのだけどここから始まったんだなあという気持ちがする。

 その証拠に、以上のエピソードを今も忘れずに覚えているわけだ。

 

 そんなこんなで10年くらいが経った今。

 某自分だけの日記は小6から中学卒業までで通算2冊のノートを埋める程度のものだった。

 高校に入ってからはメモ帳に書いて暗号化して保存するなどしてたま〜に書いていたんだけど、高1の頃にTwitterを初めてからは本当に日記を書くようなことが減ったような気がする。

 受験が終わってからは、手帳に一行日記みたいなのをつけたり、わざわざ日記帳買ってきて少し毎日更新するかと意気込んだりしたのだけどなかなか続かなかった。(あれもこれもTwitterで言いたい放題しているせいだろうか)

 今年に入ってからは、ほぼ日手帳に簡単な日々の記録は書くように心がけている。

 

 で、冒頭の昔書いた(つまり中学以前の)日記を読み返したわけ。

 本当言いたい放題で、とても他人に見せれるようなものではなかったけれど。

 若かりし頃の、希望と野心と、厨二病特有の言葉回しと、世間に対する皮肉った感じの文がなんだか今の自分には眩しかったわけ。

 人をけなすような言葉もためらいなく使っていたし、当時学力的人格的に憧れていたのであろう友人に対して絶賛の言葉を送っていたり、自分の数年後、数十年後のビジョンを描いていたり。

 あの頃の自分に一発殴られてもいいような生活してるな?って気持ちになった。

 

 改めて、自分との対話ツールなんだなって。

 高1の頃から始めたTwitterは大学入るまでは現実と隔離した匿名的な使い方をしていたのでわりかし自由に言いたい放題していたのだろうなと、それがゆえ日記で自分を振り返るようなことしなくなったんだなって。

 まあ今は現実とかなりリンクした使い方してるのでアレだけど、やっぱ紙と鉛筆(ペン)持って考えながら何かを書くってのも面白いしまた電子媒体上ではなく紙とペンで書きたいなって思った。

 匿名ブログやTwitterで気ままに書くってことはどうやら自分には無理そうだ。どうしても知り合いに見られてしまうかもというリスクを気にしてしまうのだろうな。

 自分だけの日記を書いたとしても不意に死んだ時自動で全部燃やしてくれるシステムが必要なんだけどもな……。

 

 と、何だか眠れいない夜を過ごして、このブログ更新してないなと思ったので投稿してみた。

 夜から朝の時間帯にかけてAimerの曲の雰囲気がすごい合ってて好き。

 


Aimer 3rd album「DAWN」DIGEST