白と黒の彩り

理工系大学院生の気まぐれとわがままと、そんな少しばかりの日常

締め切り直前にならないと頑張れない人「徹夜しようかなあ?」

 私は締め切り直前にならないとなかなか集中力と行動力を発揮できない人間ですはい。

 この頃は学会準備と学振書類準備と、舞い込んできた論文修正に追われ……追われるような生活をしているべきなのだけど、どれもひと月以上くらい最終締切が先なもんでなかなか身が入らない。

 試験勉強も当日明け方になってから集中力高まってくるタイプの人間だし、本当にコツコツ積み上げることに弱い。(いや、決して短い時間の勉強でなんとかなってきたと言っているわけではないのだよ。授業とかでその場でしっかり吸収していたのだよ!たぶん)

 

 ともあれ、どんどん仕事片付けて次のことに取り掛かっていきたいのに、こんなんじゃないけないので、なんだか徹夜しようかなあ、なんて考えだす時期になっている。

 夜まで活動してても、締め切り直前の「リミッター解除」状態の集中力を発揮できない日ばかりなわけ。まあ毎日そんな集中力を発揮してたらもたんから毎日な必要はないのだけど、さすがにあかんなぁというくらい生産性がない日がこうも続くとね。

 

 徹夜をすると

「朝」

という、一種強烈な締切感を体感することができる。

夜23時とか26時とか、「まあまだ大丈夫か、というか朝起きてやるか?」などと余裕があるのだ!

 午前3時に「今寝ても3時間後に起きればそのあとなんかできるようなぁ」などと思いながら寝ると案の定朝はやく起きることなく1日が始めるのだ。

だけど朝4時5時くらいになると「やばい、もう後がない」というような強迫観念じみた何かに追われ出して集中力バーストを引き起こせるのでは・・・?と。

まあ、大学的には春休みシーズンだからラボも朝からいなきゃいけないとかなわけではないので、怪しいところではあるけど。

 ようするにまあ、だらしない生活をやめたいのです。はい。

 

一年を少しだけ、振り返ってみて

12月。

いつもは、1日が経っていってもせいぜいがその月の終わりまでのカウントダウン。

中旬頃になってから「そろそろ今月も本腰入れて頑張るか」となってくる。

でも、12月の「いちにち」は一味違う。

いち日いち日がこの一年の終わりへのカウントダウン。

それだからってのもあるし、私個人的に「12月」というのが一年で一番好きな月であるので、噛み締めるような思いでこのごろは日々を過ごしている。(大げさ)

 

12月なので、否が応でもこの一年をざっくり振り返ってしまう瞬間が結構ある。

2017年、本当に本当にいろんなことがあって、きっと5年後10年後30年後に

「23歳の時、人生のターニングポイントだったな」

って思うんだろうなあって、少なくともこれまで生きてきた23年では一番それがふさわしいような一年だったと思う。

SNSで言えること、ネットにかけること、周囲の人に言えること、それだけじゃなくて、やっぱいいことでもよくないことでも言えない、もしくは言いたくないこと、人にいうほどのことでもないけど自分には大きなこととかもたくさんあるけど。

栄光と挫折と慢心と不安と葛藤と勇気と決断と迷いとetcetcいろいろあって、面白い一年だったなあって感じている。

強いて言えばもっと頑張れたよな自分、後半なんだか甘えてたなって反省はあるけども……。

 

時間とは恐ろしいもので、今は言えなくても5年後10年後になったら言えることもあるだろうと思う。

けども、そのときには今の思考の形跡を忘れ去っているよね。

欠片は頭の片隅に残っているかもしれないけど、今ほど鮮明に残ってないよね。

だから、日記とか何かに、自分用の何かにちゃんと記録を、私の今の記録を未来の私に残したいと思う。

何てことを考えてしまうセンチメンタルマンなんだな〜〜〜〜私は、なんて考えていたり。

 

もうちょっと、具体的な振り返りをしようと思っていたのにかなり抽象的なことで終わってしまった。

 

でもまあ

そんな感じで、いつか2017年を思い起こしたときに今の形跡を辿れるようにと些細な標識をここに。

なんて。

 

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映画【メッセージ】を観た


アカデミー賞8部門ノミネート 映画『メッセージ』予告編

 

ずっと観よう観よう思ってたのに気付いたら公開期間過ぎ去っていて、先日久しぶりにTUTAYA行ったらあったのでレンタルして鑑賞!

 

 結論から言うと、すごく、すごく、良かったです。

 

以下、ネタバレ有感想。

 

時間軸の概念がないというか、4次元的な認知?

の表現の仕方というか、時間操作系SFにありそうな感じでなさそうな感じで。

 

観たことある映画の中だとバタフライエフェクトのような、インセプションのような、そんな感じを彷彿とさせる感じが懐かしい感じだった。

 

ただ、メッセージの場合は「過去に体験したことのフラッシュバック」ではなく、将来起こること「未来のフラッシュバック」というのが違いか。

理解しきれていないだけかもしれないのだけど、メッセージで主人公が得た未来視は「未来予知」なのか「決定された未来」なのか。

まあどちらでも構わんのだけど、決定された未来だとしたらなんだか寂しい終わり方だよなぁと思わなくもない。

 

将来的に娘は病気で亡くなり、夫は去っていき、っていうのがわかっているのにそうするのか。みたいな。

 

個人的には、SFで言語学者が活躍するの結構好きだった。

暗号解析とか結構数学とかの領域でもあるけど、SFっていったら物理やら工学やらの学者や変態技術者みたいなのにフォーカスが合いがちだけど、未知の生命体相手にどうコミュニケーションをとるかというところでは言語学者は結構リアルで良い。

ホーガンの「星を継ぐもの」でも言語学者が活躍するのだけど、工学系ながら熱くなったりした。

言語学者しかり、歴史学者しかり、文化人類学者しかり、etcetcと文系学問の実用性が云々言われているが(理学系もそうだし、どこもかしこも全部言われてそうだけど)

どれも、捨てるにはもったいないというか、いざというときのセーフティを切り捨ててしまうような気がして、お金の浪費と言われようとも学問を残しておいてほしいなと思うのです。

 

よくわからん雑記になったけど。

ともあれ、観たっていう記録に。

 

 



 

 

 

光陰矢の如し、過ぎ行く時間を私は如何にか

この頃時間の流れが速い。

 

ゼミやったなあ、

輪講だったなぁ、

お金稼いだなぁ〜、

少し実験したなぁ、

授業うけたな〜、

えっ、今週もう終わり?見たいな。

 

何かに着手するときわりかし最低2時間以上がっつり使ってやりたいくせみたいなのがついちゃってて、

昼間に何かしようとすると何かと中断されやすいから自分の研究進める主な時間帯がどんどん夜にずれ込んで行くしよくない。

隙間時間使って10分20分でFig作れるでしょ!論文読めるでしょ!勉強できるでしょ!

って自責はするんだけどなかなか人は変われないものだなぁ。

 

研究そのものも確かに前進しているんだけど、やる気出せば1週間で進むようなことをひと月かけてないか?

って感じがある。

まあ、やってみないとわかんないことをやってみたらできたからあとから言うのはいくらでもできるのだけど……。

 

さて、そんなところですね。

そろそろTOEICの勉強して受けとかないと、有効なスコアがなくて困ることになるなぁって。

 

そして、喉が痛い鼻水が出る、風邪ひきそう。

心はここにある、それでも拭えない、コレジャナイ感

去年のこの頃、映画「君の名は」をみて

「何かを探しているけどそれがなんだかわからない」

ようなそんな抽象的な感じにすごく共感を覚えていたりしたし、

普段の生活でも、なんだかそれなりにがんばっているけど「心ここに在らず」みたいな

そんな感じがあった時期もあった。

まあ、ただのモラトリアムだったんだろうけど(ちなみにまだ脱しきれていない)。

 

この頃は、心もここにある、ちゃんと自分の人生を自分で主体的に生きているという自信と自覚を持てているような気がする。

そしてそれだからこそ、自分の今後の進路について余計迷いが生じてきた。

D進にしろ、就職にしろ、周りがそうしたほうがいいと言うからということで決めるのではなく、自分がしっかり納得したいとか思い出した途端に迷路。

ついでに言うと。

他の誰かじゃない、私自身が納得して満足できる選択を。

と、思いつつも、その私自身の判断基準の中に他人の視線を気にする要素が少なからずあるところが強くなりきれない弱さを認識してしまって悲しくなったりもするなどしたりしなかったり。

 

 

ともあれ将来的に、教員免許持っているし、教師という職も(給料と安定性という意味では)かなりアリな選択肢のように思う。

研究室で、ペーペーのM1だから卒論以上の何かをしようと思うと何もかもわからんことばかりで手一杯だったんだけど。

学会発表や論文書いたりしているうちに研究って思っていた以上に孤独との戦い感をすごく感じてしまって(もちろん分野やテーマにもよるだろうが)、自分で言うのもなんだけど、わりかし一人で結構なことをどうにかしてきた(できる)タイプだった割にそんな感想を抱いてしまってこの道でやっていけるのか今まで考えていなかった領域で不安が生じてしまった。

研究において孤独感があるだけで研究室としては先生方とも他のラボメンたちともまぁ仲良くやれていると思うけども、未知との遭遇や未知への挑戦を個の力で(もちろん今はまだ指導教官など一緒に考えてくださる頼れる味方がいらっしゃるけども)立ち向かい続けることの大変さを感じてしまっているのがなんだか我ながら悔しい。

大変さもある反面、もちろんやりがいもあるんだけど、今までその大変さをそんなに意識してなかったことになんだかここ半年で気づいた、遅いなぁと。

 

脱線したけど、こう、確かに自分はここにいて、なんだか放蕩しているという感じもないんだけど、なんだかこのままでいいのかな?感がずっとつきまとってしまっていて

まぁ漠然としているけどもわりかし逼迫した将来進路について迷ってしまったなぁと。

いつまでも「選択の幅を狭めない」という「なにも選ばない」状態ではいれないということを受け入れるしかないよ、私。

こんな選択できない欠点を抱えつつも、

「何かを選択・決断したのなら、その瞬間はベストでなくてもその後の努力や意識、行動次第でその選択を後からベストのものに変えることができる」という信念というかマインドがあるので早く何かしらちゃんと行動しなよ自分。

って言い聞かせるんだけど「一度きりの人生、どうせなら選択を間違えたくない」でしょ?

とまあそんな感じで、夏が終わる。

 

 

大学院生になった

ふと、ほんとふと、更新するか、と思ったので勢いに任せて。

春からそのまま同じ大学の大学院に進学した。

 

あーだーこーだあんま言ってないような言っているような、よくわかんない感じだけど

わりかし今の環境に満足しているしむしろ恵まれていると感じているので幸せだ。

 

卒論終えて、3月は国内学会で発表して、5月末に国際会議で発表してって、

なんだかドタバタしてたらあっという間に梅雨の季節になってた。

 

いくらか実験データ出さないといけないからまだ一息抜けないんだけど、

早くひと段落させて平日昼間っから自宅に引きこもって映画を観る会(一人)を開催したい。

 

そんなこと考えているのに、今月末までに次の学会のアブストださないの?みたいな感じになってきて困った。

研究して、結果を出して、外部に出してってのは実績にもなるし、いいことなんだけど燃え尽き症候群ばりに今研究に対するモチベーションが弱まっているのでうぅん。

 

FaceBookもそうなんだけど、更新頻度が一度がくっと落ちるとポテンシャルバリア大きくなってなかなか次の更新できなくなるなぁって。

Twitterなんて息をするように投稿してるから何の気なしにつぶやいてんのにね。

こんな感じで日記ばりに更新していけたらいいなって、当初のブログ開設目的を思い出しつつ、明日も頑張るぞ。

卒論、部屋でたらたら書いていたいもの

夜眠れなさすぎ。

朝日登ってきたら眠くなってくるんだけどどうしてくれるのこれ。

世間様が思い描くダメ大学生の典型的な生活スタイルになってしまっていて困る。

 

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